フランスの女優でファッションアイコン的存在のジェーンバーキン。
彼女の魅力的なキャリアは、
ただ単に才能と個性の表れですが、
実はその背景には、同じく才能豊かな両親が存在します。
この記事では才能豊かなジェーンバーキンを育てた
両親、母親と父親についてご紹介していきます。
ジェーンバーキンの生まれ故郷、実家について
ジェーン・バーキンは、
イギリスのロンドンで生まれました。
彼女の実家は、ロンドンの裕福な地区である
メリルボーンに位置していると考えられています。
ジェーン・バーキンの家族は、
多才で多様なキャリアを持つ人々で彩られています。
彼女の高祖父、リチャード・バーキンは、
わずか7歳で織物業界に足を踏み入れ、
後にレース製造の分野で成功し、
バーキン家は上流の仲間入りをします。
リチャードの巨額の資産と事業は、
彼の息子であるジェーンの曾祖父、
トーマス・アイザック・バーキンに受け継がれましたが、
ジェーンの祖父と父親は実業界にはまず進む、
軍人の道を選んでいます。
ジェーンバーキンが支援活動や慈善活動に積極的なのは
父親の背中を見て育ったからなのかもしれません。
ジェーンバーキンの両親について
母親は女優
ジェーン・バーキンの母親は
ジュディ・キャンベル(Judy Campbell)と言い、
イギリスの女優であり、
主に舞台演劇で活躍していました。
彼女は第二次世界大戦中の
イギリスで特に知られるようになり、
ノエル・カワードというイギリスの劇作家の
ミューズとして広く知られていたようです。
母親はジェーン・バーキンにとって
完璧な女性の象徴だったようです。
ジェーンバーキンは母親に憧れる反面、
コンプレックスを抱くこともあったそう。
完璧な美人だった母はサングラスをかけて赤いドレス姿で、
スポーツカーで学校に私を迎えに来た。そんな眩しい母の前で、私は灰色の子ネズミみたいな気分だったの。
引用ジェーン・バーキンの言葉
自分が女優として活躍し始めても
その感情はなかなか拭いきれなかったようですが、
自分が母親になったことで
そのわだかまりが解けていったと明かしています。
年齢を重ねるにつれ、
母親はジェーン・バーキンにとって
憧れの人から人生における良きアドバイザーと
関係が変化していったそうです。
母と娘の関係というのは
理解者であったり、なかったり、
ライバルであったり、味方であったりと
複雑な関係なものです。
ジェーンバーキンにも同じように
そんな時期があったと思うと
少し親近感がわきますよね。
そんなジェーンバーキンの母親も
2004年、88歳でこの世を去っています。
ジェーンバーキンは母親の遺灰を
ジャムの瓶に入れて台所に置いていると明かしていました。
ママの遺灰はジャムの瓶に入れて、台所の紅茶の棚に並べたわ。
引用ジェーン・バーキンの言葉
近くにいてほしくて。
瓶には“ママ”って書いたの。
彼女のそんな行動が少女っぽくて
かわいらしいですよね。
父親は大佐
ジェーン・バーキンの父親は
デビッド・バーキン(David Birkin)言い、
イギリスの海軍兵の大佐だったそうです。
父親は第二次世界大戦中、
ナチス・ドイツに対する抵抗運動をし、
ジェーンバーキンはそんな勇敢な父親に憧れていたそうです。
父親は大佐を引退した後、
不良少年の指導員となり、
彼らの社会復帰を助けるなど
社会貢献に力を注いでいたようです。
そんな父親を見て育ったジェーンバーキンが
社会貢献や人道支援に積極的なのは
自然なことだったのかもしれませんね。
彼女は12歳のときにはじめて
父親と一緒にデモ活動に参加します。
これがジェーンバーキンにとって
人道支援の始まりだったようです。
“恵まれた環境にある者は、
引用ジェーン・バーキンの言葉
他者のために何ができるかを
考える義務がある”
私はこのことを父から学んだの。
この言葉には私自身も考えるものがありました、、、。
そんな父親も、1991年に亡くなり、
同じ時期にジェーン・バーキンの2番目の恋人、
セルジュ・ゲンズブールも亡くなっています。
まとめ
ジェーンバーキンが女優として活躍し、
人道支援にも熱心なのは両親からの影響を
強く受けていたからなのでしょう。
ジェーンバーキンの活躍の背景にあるものは
素敵な両親の背中だったんですね。
彼女の背中は彼女の娘たちに
受け継がれていくのでしょう。