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ジェーン・バーキンの恋愛遍歴!3人の夫と1人の恋人について。

それほど多くの恋愛をしてきたわけじゃない。
生涯で4人だけ。

BIRKIN ジェーン・バーキンの言葉

   

ジェーン・バーキンが人生で交際した相手は4人で
その全員との恋愛をオープンにしていました。

   

ジェーン・バーキンには3人の娘がいますが、全員違う父親です。

   

恋多き女性に見えるけれど、
ジェーン・バーキンは全員、本気で好きになり、
愛すること、愛されることに貪欲だっただけのような気がします。

  

ジェーン・バーキンが恋をした4人の男性について紹介していきます。

目次

1人目の夫・ジョン・バリー

ジョン・バリー
出典https://eiga.com/

名前:ジョン・バリー・プレンダーガスト
生年月日:1933年11月3日
死没:2011年1月30日 (77歳没)
職業:作曲家、指揮者

ジェーン・バーキンの初めての相手は
音楽家のジョン・バリーです。

   

イギリス・ヨーク出身の作曲家で
多くの映画音楽の作曲を手がけており、
中でも「007/ジェームズ・ボンド」シリーズの曲は
多くの人に知られています。

ジェーン・バーキンとの出会い

ジョン・バリー
出典https://news.yahoo.co.jp/

ジェーン・バーキンは
映画『ナック』で女優デビューを果たし、
ジョン・バリーはその音楽を担当しています。

  

2人の関係はそこからはじまり、
当時ジェーン・バーキンは17歳で、
ジョン・バリーは30歳でした。

    

ジョン・バリーには離婚歴があり、
前妻との間に娘も1人いました。

    

ジョン・バリーは人気作曲家であり、
女性にもモテてたので、
ジェーン・バーキンはまさか自分が選ばれるなんて
思っていなかったそう。

   

しかもジョン・バリーの好きな女性のタイプは
豊満でセクシーな女性と、17歳のジェーン・バーキンとは全然違ってたそうです。

   

ジェーンは中学生みたいな容姿で、バリーの好みではなかった。
彼は豊満でセクシーな女が好きだったからね。

   

ただ、ジェーンはとてもユニークな女の子だった。

      

いつも笑ってばかりいて、
たぶんそんな明るい彼女にバリーは惹かれたんだろう。

    

彼はいつも寂しそうで暗い男だったから。

引用 BIRKIN

    

自分の好みを覆すほど
ジェーン・バーキンには
魅力があったということですよね、、、( *´艸`)

     

しかし、ジェーン・バーキンの父親は
遊び人とウワサのあるジョン・バリーとの結婚を
あまりよくは思ってなかったようです。

18歳で結婚

父親の心配を余所にジェーン・バーキンは
18歳でジョン・バリーと結婚します。

    

結婚当初は才能ある音楽家の妻として
幸せな生活を送っていたジェーン・バーキン。

   

完璧な妻でありたいと思い、
家で料理を作り、彼の帰りを待つ生活、
家で過ごす時間を居心地の良いものにしたいと思い
頑張っていたようです。

  

一方で、ジョン・バリーは自分の容姿を
気に入ってくれたと思っていたジェーン・バーキンは
いつもキレイでいないとと思い、
枕の下にメイク道具をかくして、真夜中にメイクをなおしたりと、
必死だったことも明かしています。

20歳で長女ケイトを出産、離婚

ケイトバリー
出典https://ameblo.jp/

    

1967年4月8日、2人の間に子供が誕生します。

  

ジェーン・バーキンはジョン・バリーとの子供を望んでいたので
長女ケイトの誕生で幸せを感じるのと同時に、
ジョン・バリーとの関係の修復も望んでいました。

  

というのも、2人の結婚生活が上手くいっていたのは最初だけで
ジョン・バリーの女遊びがすぐに再開
していたようです。。

   

ジェーン・バーキンは子供が生まれたことで
彼が戻ってくると思っていたようですが、
結局、ジョン・バリーはハリウッドで別の女性を作ってしまい
2人は離婚
することになります。

   

彼が初めての男性だったし、
彼を満足させてあげることが出来なかった。

彼に捨てられて、自立するために働かなくっちゃって決心したの。

引用:Jane Birkin 

    

そしてジェーン・バーキンは
映画『スローガン』に出演するために
フランスに渡ります。

2人目の夫・セルジュ・ゲンズブール

セルジュ・ゲンズブール
出典https://www.pinterest.jp/

本名:リュシヤン・ギンスブルグ
生年月日:1928年4月2日
死没:1991年3月2日
出身地:フランス パリ
職業:作詞作曲家、歌手、映画監督、俳優

     

セルジュ・ゲンズブールはフランスの
作詞作曲家、歌手、映画監督、俳優と
多彩なアーティストのひとりです。

  

ジェーン・バーキンの人生に
一番影響を与えた人物でもあり、
一番特別な男性でもあります。

ジェーン・バーキンとの出会い

ジェーン・バーキンは娘との自立した生活をするために
フランス映画のオーディションを受け、
映画『スローガン』の出演が決まり渡仏しました。

   

そこでセルジュ・ゲンズブールと出会います。

  

しかし、お互いに最初は印象が良くなかったようで、
映画の撮影に支障がでるほどだったそう。

   

最初、セルジュはすごい横柄で自信家に見えたわ。
セルジュは私になんて興味を持っていなかったの。
フランス語を一言も話せないのに、
どういうつもりでフランス映画の出演を引き受けたんだよ!
って怒鳴られたほど。

引用Jane Birkin

     

映画『スローガン』で2人は恋に落ちる設定でしたが、
冷たく心を開かないセルジュ・ゲンズブールのせいで撮影は難航し、
ジェーン・バーキンは泣いてばかりいて、
監督にイギリスに帰りたいとせがむほどだったそうです。

   

そんな2人の仲をどうにかしようと監督は
2人だけでディナーをするようセッティングをし、
そこから一気に距離が縮まったようです。

   

マキシムで黙々と食事をしたわ。

   

その跡、セルジュが私をクラブに誘ってくれたの。
そこで私がダンスを誘ったら一度は断られたけど、
相変わらずふてくされた素振りでダンスに応じてくれたの。

   

するとダンスの最中に何度も私の足を踏むの!
彼が上手にダンスを踊れないことを発見して私は嬉しくなったわ。
ダンスが下手なセルジュがかわいらしく思えて。

引用Jane Birkin

    

この一夜の出来事でジェーン・バーキンは
セルジュ・ゲンズブールがどんな人なのか本質が見え、
そこに惚れ、夢中になっていったようですね。

     

自分に対する悪意だと思っていたことが全部、感受性の強すぎる
すごくロマンティックな人間の自己防衛だったとわかったの。

     

私が彼に夢中になったのは恥ずかしがりやで不器用なところ。
人には見えないけれど、優しくて感傷的な人だったの。

引用Jane Birkin

     

セルジュ・ゲンズブールのツンデレは
女性の母性をくすぐるような気がしますww

スキャンダラスなカップルの誕生

セルジュゲンズブール
出典https://www.pinterest.jp/

   

ディナーの翌日、2人は手をつないで撮影現場に現れ、
スタッフを驚かせるほど急速に仲が親密に。

  

そりゃ、昨日まであんなに仲の悪かった2人が
一夜にして手をつないで登場したら驚きますよねww

     

その後、撮影は順調にすすみ、
同様に2人も交際に発展していきました。

    

そして2人がスキャンダラスなカップルと
言われるきっかけとなった曲、
『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』が発売されます。

放送禁止と話題になった歌はコチラ

    

この曲を皮切りにセルジュ・ゲンズブールのは
ジェーン・バーキンに多数の楽曲を提供し、
アルバムもプロデュースし続けました。

    

セルジュ・ゲンズブールにとってジェーン・バーキンは
音楽的創造のミューズだったのかもしれません。

   

事実、セルジュ・ゲンズブールは離婚後(事実婚解消)も
ジェーン・バーキンに楽曲を提供し続けています。

24歳のとき、次女シャルロットが誕生

セルジュゲンズブール
出典https://www.pinterest.jp/

  

1971年7月21日、2人の間に子供が誕生します。

   

2人にとって次女シャルロットは
初めての子供ではありませんでした。

   

セルジュ・ゲンズブールは前妻との間に2人の子供をいたが、
前妻との関係は良くはなく、
なによりジェーン・バーキンのことをとても愛していたため
彼女との間にできた娘の誕生に対して特別な感情があったようです。

   

俺は子供と初対面をすませたあと、ホテルに戻った。

   

真夜中だったからバスもなければ、タクシーも走っていなくて、
歩き始めたら雨が降り出して
ロンドンの端から端まで2時間かけて歩くはめになった。

  

しかし、俺の人生で、あれ以上幸せな散歩はしたことがない。
あの夜、俺は、この手で幸せにふれた気がした。

引用:BIRKIN ジェーン・バーキンの言葉

     

セルジュ・ゲンズブールがすごい幸せを
感じていたことが伝わりますよね、、、( *´艸`)

    

セルジュ・ゲンズブールは次女のシャルロットだけではなく、
ジェーン・バーキンの連れ後、長女ケイトに対しても
心から可愛がっていたようで、
その姿にジェーン・バーキンも本当の家族になってくれたと感じ、
とても幸せだったようです。

   

セルジュゲンズブール
出典https://www.pinterest.jp/

   

最初の結婚は失敗だったけれど、
セルジュとの出会いで生まれて初めて愛すること、
愛されることを知ったの。
セルジュのおかげて新しい世界を見いだすことができた。    

引用:Jane Birkin

   

しかし2人は正式な婚姻をせず、
次女シャルロットを誕生の日を“結婚の日”とし、
事実婚という形をとりました。

セルジュ・ゲンズブールとの生活

セルジュゲンズブール
出典https://www.pinterest.jp/

  

2人は子供がいながら、
恋人同士のような生活スタイルをしたいました。

  

ジェーン・バーキン自身も、
“普通のファミリーじやなかった”と話しています。

   

というのも、ジェーンとセルジュは
毎朝6時までクラブで飲み歩き、
家に戻って子供を起こし朝食を食べ、学校に送った後、
子供たちを迎えにいくまで眠る。
そして子供たちと過ごして、また22時にはまた飲みに出かける、
というような生活をしていたようです。

    

子供たちよりセルジュ・ゲンズブールを
2人の世界を優先してしまっていたそうです。

    

恋は盲目と言いますが、
それぐらい2人は愛し合っていて、
2人の世界に夢中だったのだと思います。

お互いをプロデュース

ジェーンバーキン
出典https://www.pinterest.jp/

   

ジェーン・バーキンは
彼の創作意欲を掻き立てる存在だったのは間違いないと思います。

    

セルジュ・ゲンズブールが作った楽曲を歌い、
セルジュ・ゲンズブールが出演する映画には
必ずキャスティングされたりと、
ジェーン・バーキンという女優、歌手を
プロデュースしていました。

    

ジェーン・バーキン自身もそれを望んでいました。

    

一緒にでかけるときは彼好みの格好をしたり、
コンプレックスだった脚もセルジュ・ゲンズブールに
“その脚が好きだ”と言われ、
脚をだすファッションをするようになったり、
いつの間にかそれが“ジェーン・バーキンのスタイル”になっていました。

    

反対にジェーン・バーキンもセルジュ・ゲンズブールの
スタイルをプロデュースしていました。

   

セルジュ・ゲンズブールのトレードマークともいえる
無精髭もジェーン・バーキンの好みから。

  

そしてセルジュ・ゲンズブールがお気に入りで
いつも履いていたレペットのシューズも
最初はジェーン・バーキンがプレゼントしたものだったそ。

    

実はゲンズブールの足はとても鋭敏だったらしく、
多くの靴は耐えがたいほどの痛みを引き起こしたため、
履ける靴の種類は限られていた。

   

そんな彼のためにバーキンが初めて買ったジジは、
バターのように柔らかいカーフスキンで作られており、
まるで手袋のようにフィットした。

    

それからというもの、
ジジは彼にとって手放せない靴になった。

   

1991年にこの世を去るまで、
彼は毎年30足のジジを履きつぶしたと言われている。

引用:https://therakejapan.com/


     

お互いをプロデュースすることによって
さらに魅力のあるカップルになっていったんでしょうね

2人が破滅するとき

ジェーン・バーキンはセルジュ・ゲンズブールのプロデュースによって人気は高まっていき、
仕事のオファーも増え、収入では彼を上回るようになってきました。

     

それによりセルジュ・ゲンズブールの自尊心は傷つけられ、
たばことアルコールの依存症へ拍車がかかります。

    

セルジュ・ゲンズブールは毎晩クラブでバカ騒ぎをし、
酔って帰ってきてはジェーン・バーキンに暴力を振るうようになったのです。

    

完全に酔っぱらって帰ってはジェーンを叩いていた。
怒った彼女が大声を上げると不愉快になってまたすぐに手を出してしまう、、、。

それでも彼女は我慢していたんだけど、それが悪い習慣になってしまった。

引用:Jane Birkin

      

毎晩2人で飲み歩いていた時期は過ぎ、
ジェーン・バーキンは年齢を重ねるにつれて
落ち着きを身につけ、大人の女性になっていました。

    

いつまでもスキャンダラスな若い女性ではいられないと感じていたようです。

   

楽しいことだけに甘んじる生き方が嫌になったの。

引用:BIRKIN ジェーン・バーキンの言葉

彼は年をとることを拒み、子供たちが成長するのを恐れていたわ。

引用:BIRKIN ジェーン・バーキンの言葉

    

ずっと変わらずにいたいと思うセルジュと
変わっていくことを受け入れたジェーン。
同じものを見ていた2人が、
いつの間にか違うものを見ていたということですね、、、

      

そしてある時、限界を感じたジェーン・バーキンは
娘たちと一緒に、必要最低限のものだけをスーツケースに入れ、
自分の荷物を半分以上残したまま家を出ていったそうです。

セルジュ・ゲンズブールの未練

セルジュゲンズブール
出典https://www.pinterest.jp/

  

セルジュ・ゲンズブールは
ジェーン・バーキンが家を出ていったとき、
“とても苦しんだ”と話しています。

   

本当にとても苦しんだ。

52歳にもなってあんなに泣くとは思っていなかった。

引用:BIRKIN ジェーン・バーキンの言葉

    

さらに、突然出ていった彼女たちに対して恨んだりはしておらず、
逆にジェーン・バーキンや娘たちのイメージを
傷つけないようにしてくれていた
そうです。

   

そしてジェーン・バーキン自身も
セルジュ・ゲンズブールと別れることになったけれど
人生の中で特別な存在には変わりないことを明かしていました。

   

別れた後もセルジュ・ゲンズブールは
ジェーン・バーキンに楽曲を提供し、
良き友人として関係を続けています。

  

その後、一緒に仕事をしたとき本当に彼は優しくて親切だった。
一緒に仕事をした3日間は眠れなかったわ。

    

セルジュに対する友情は、私にとっての安らぎ。

    

彼と別れて、何か大切なものを失っていた気がしていたから。
彼の存在があってこそ私は成功したの。

    

彼は私にとって人生の全てでした。
それは永遠に変わらないでしょう。

引用:Jane Birkin

     

次項で詳しく紹介しますが、
3番目の夫との間に子供ができたときも、
ジェーン・バーキンはセルジュ・ゲンズブールを病院に呼び、
子供に会わせています。

   

出産したとき、病院に彼をすぐに呼んだの。

彼は赤ちゃんにかわいらしい赤いシューズや、
お人形を持ってきてくれた。

第二のパパより、ってメッセージがあったわ。

引用:BIRKIN ジェーン・バーキンの言葉

     

2人は恋人から家族になり、そして特別な友人なり
人生を共に歩んだパートナーと
関係は変化していったようですね。

     

ジェーン・バーキンを語るに、
セルジュ・ゲンズブールは
欠かせない存在という理由がわかります。

3人目の夫・ジャック・ドワイヨン

ジャックドワイヨン
出典https://www.pinterest.jp/

生年月日:1944年3月15日
出身地:フランス、パリ
職業:映画監督

    

セルジュ・ゲンズブールとの関係が上手くいっていない中、
3番目の夫となる映画監督のジャック・ドワイヨンと出会います。

2人の出会い

ジェーン・バーキンが33歳のとき、
2歳年下のジャック・ドワイヨンと出会います。

   

ジャック・ドワイヨンは映画監督で
以前からジェーン・バーキンの歌声や
透き通るような美しさ、繊細さに魅力を感じており
映画を撮りたいと思っていました。

   

そして自分の映画に出てほしいと
『放蕩娘』のシナリオをジェーン・バーキンに渡し
意見を求めたようです。

    

ジェーン・バーキンはこれまで
セルジュ・ゲンズブールが望む女性を演じてきたため、
自分の意見を求めてきたジャック・ドワイヨンの行動に
とても感激したそうです。

   

これまでジェーン・バーキンは外見を武器に
ヌードも厭わず映画にさらけ出していましたが、
ジャック・ドワイヨンはジェーン・バーキンの外見には興味がなく
内面をさらけ出すような演技をしてほしいと求めます。

   

そんな彼の知的なディレクションに惹かれ2人は交際に発展します。

    

そこからジェーン・バーキンは女優として一皮むけ、
“演技派女優”と言われるようになり、
有名な監督からもオファーがくるようになった
そうです。

   

彼との作品のおかげでゴダールやいろんな監督から
仕事の依頼がくるようになった。

引用:Jane Birkin

35歳のとき、三女ルーが誕生

ジェーン・バーキン
出典https://madamefigaro.jp/

当時13歳だったケイトと9歳のシャルロットを連れて
ジャック・ドワイヨンのもとに移った2年後、
2人の間に子供ができます。

      

1982年9月4日、三女となるルー・ドワイヨンが誕生

    

しかし、ジャック・ドワイヨンと
ジェーン・バーキンの生活は
少し変わっていたようです。

    

前夫のセルジュ・ゲンズブールが
よく家に遊びにくるような不思議な家族関係だったとか。

   

三女のルーの言葉がそれを表していました。

ママは自分の父親と兄、そしてゲンズブールを深く愛していた。
その3人のことを24時間話していた。

   

でも私のパパと暮らしていたの。
それに毎晩ゲンズブールが家に来ていたわ。

   

私はそんな不思議な家族の中で、みんなを笑わせるコミック役になった。
ミステリアス役はシャルロット(次女)。
エネルギーにあふれて万能なのはケイト(長女)。

   

誰より美してユニークなのはママ。
口数が少ないのはパパ。
いろんなことを支配するのはゲンズブール。

引用:BIRKIN ジェーン・バーキンの言葉

     

娘たちとジャック・ドワイヨンは
複雑な心境だったように思えますよね、、、

セルジュ・ゲンズブールの死。そして離婚

ジェーン・バーキンとジャック・ドワイヨンは
14年間の結婚生活を終えます。

   

そのきっかけはセルジュ・ゲンズブールの死でした。

  

ジェーン・バーキンが44歳のときに、
セルジュ・ゲンズブールが亡くなり、
さらにその5日後に父親も亡くなります。

  

立て続けに愛する人を2人も失ったジェーン・バーキンは
喪失感に苛まれます。

    

そしてその数年後ジャック・ドワイヨンは
ジェーン・バーキンに別れを告げます。

   

セルジュ・ゲンズブールの喪失から
長く悲しみの中にいるジェーン・バーキンに
耐えられなくなったのでしょう、、、、

    

ジェーン・バーキン自身も
彼が出ていったことには納得していたようです。

  

彼が出ていくのも当然だった。

家の中はずっと喪中状態だった。

引用:BIRKIN ジェーン・バーキンの言葉

    

ジャック・ドワイヨンは彼女の中に
セルジュ・ゲンズブールがずっといることが
辛かったのかもしれませんね、、、

4人目の恋人・オリビエ・ロラン

オリヴィエロラン
出典https://www.pinterest.jp/

名前:オリヴィエ・ロラン
生年月日:1947年5月
出身地:ブローニュ・ビヤンクール
職業:作家

    

愛する人を亡くし、
そして14年間生活を共にしたパートナーとも別れ
孤独に過ごしていたジェーン・バーキン。

   

そんな中、出会ったのが作家のオリヴィエ・ロランです。

2人の出会い

出典https://www.pinterest.jp/

ジェーン・バーキンが48歳のとき、
パリ・サラエボ・ヨーロッパ協会で
サラエボに旅をしていました。
そのメンバーの中にオリヴィエ・ロランもいました。

    

ジェーン・バーキンは彼のサラエボでの勇敢な行動に惹かれ、
またオリヴィエ・ロランも彼女の自らの命を危険にさらしてでも
サラエボで自分にできる精一杯のことをしようとする姿に惹かれたそうです。

   

そして2人は恋に落ち、交際に発展します。

5年で破局

しかし、2人の関係は長くは続かず
5年で破局をむかえます。

  

おそらく2人の間で恋愛の価値観が違ったのかと思われます。

  

私はたった24時間で14年間住んでいた家を売ることを決めてしまったの。

彼に恋をしていたし、彼は私と暮らしたいのだろうと思っていたから。

でも、私の勘違いだったの!

引用:BIRKINジェーン・バーキンの言葉

      

結局2人は一緒には暮らしませんでしたが、
ジェーン・バーキンは三女のルーを連れて
オリヴィエ・ロランの家の目の前にある
アパルトマンを借りて住んでいたそうです。

   

ジェーン・バーキンは2人の子供も望んだそうですが
オリヴィエ・ロランはそれを望まなかったとか。

   

ジェーン・バーキンは恋をすると一途かつ
盲目になりがちで、
オリヴィエ・ロランは逆にそこは冷静な人だったのかなと思います。

   

きっとそれにより、2人は自然と
別の道を歩むことになったのかもしれませんね。

      

オリヴィエ・ロランとの恋愛は短かったけれど
ジェーン・バーキンはとても楽しかったと話しています。

   

私は49歳で恋に落ちて、すごく楽しかった。
恋愛って、突然やってくるものなのよ。

引用:BIRKINジェーン・バーキンの言葉

     

ジェーン・バーキンの年を重ねても
恋愛に対して臆することなく
自分の気持ちに正直に、純粋に動けることが
とても素敵で、うらやましいなと思いますね。

まとめ

以上、ジェーン・バーキンの恋愛遍歴、
3人の夫と1人の恋人についてまとめてみました。

   

ジェーン・バーキンはオリヴィエ・ロランと別れたあとは
特定の恋人はいなかったそうです。

   

だけどジェーン・バーキンは積極的に人に出会うこと、
色んな景色をみること、
そして人の役に立ちたいと思っていたそうです。

    

ジェーン・バーキンの人生において
恋愛とはなくてはならないもので、
自分を成長させるものだったのかもしれませんね。

   

どうしても年齢を言い訳に恋愛から逃げてしまいがちな人が多い中、
ジェーン・バーキンの恋愛には学ぶものがありますね。

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この記事を書いた人

永遠のミューズ、ジェーン・バーキン。
 
彼女の生き方にリスペクトを込めて。

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