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【生い立ち】ジェーン・バーキンの経歴プロフィール(デビュー/結婚/離婚/出産)

みなさん、こんにちは。

永遠のミューズ、ジェーン・バーキンの
経歴プロフィールを紹介していきます。

目次

ジェーン・バーキンの経歴プロフィール

出典https://www.pinterest.jp/

本名:Jane Mallory Birkin
生年月日:1946年12月14日
年齢:76歳没
出身地:ロンドン
身長:173㎝
職業:女優、モデル、シンガーソングライター

 

ジェーン・バーキンは1946年12月14日に
イギリスのロンドンで生まれました。

 

彼女は父親がイギリス人で、
母親がインド出身の女優であり、
多国籍な背景を持っているようです。

 

ジェーン・バーキンは主にフランスで活動していたので、
フランス人と思ってたけど、イギリス人だったんですね!

  

ジェーン・バーキンの美しい見た目と特異なファッションセンスで、
彼女はヨーロッパの若者たちにとっての
カウンターカルチャーのアイコンとなっていました。

 

ジェーン・バーキンは音楽、映画、ファッションなど
幅広い分野で活動を展開し、国際的な評価を受け続けています。

  

ファッションアイコンとしても知られる
エルメスの「バーキンバッグ」は、
ファッション業界で特に有名です。

 

ジェーン・バーキンはその多才な才能、
美しい声、ユニークなスタイルにより、
芸術界やファッション界で多大な影響を与えたアーティストの一人です。

女優デビューと同時に18歳で結婚、そして離婚

出典https://www.25ans.jp

ジェーン・バーキンは17歳のときに
映画『ナック』で端役で出演。

 

これがバーキンの映画デビュー作品となります。

 

そしてこの映画の音楽を担当していた
ジョン・バリーと18歳で結婚
20歳のときに第一子を出産しています。

 

デビューして間もなく結婚し出産とは
現在の芸能界では考えられない展開、、( ゚Д゚)

 

ただ、結婚して間もなく旦那のジョン・バリーの女遊びがはじまり
21歳のときには2人は離婚します。

フランスで女優として活動を始める。

映画『ナック』で映画デビューを果たしたバーキンは
翌年、『欲望』という映画にも出演しています。

 

端役で出演していたバーキンですが
役柄で男性相手にヌードでじゃれ合うシーンがあり、
映画公開後、そのシーンがスキャンダルとなってしまい
しばらく仕事がこなくなってしまったそうです、、、

  

ジョン・バリーと離婚後、
ジェーン・バーキンはフランスに渡り
フランスで女優としてキャリアをスタートさせました。

2度目の結婚(事実婚)と出産

映画『スローガン』に出演するためにフランスに渡ったジェーン・バーキン。

 

そこでジェーン・バーキンの人生にはかかせないパートナー
セルジュ・ゲンズブールと出会います。

  

出典https://www.elle.com/jp/

  

後にセルジュ・ゲンズブールとジェーン・バーキンは
センセーショナルかつ反逆的カップルとして崇拝されるほど、
有名なカップルとなりました。

  

ジェーン・バーキンはセルジュ・ゲンズブールの作った曲で
歌手としても活動を開始し、
ジェーン・バーキンのシンガーソングライターとしての人生を
目覚めさせた人物でもあります。

  

セルジュ・ゲンズブールとの歌で一番有名なのは
Je t’aime… moi non plus
(ジュ・テーム・モア・ノン・プリュ)
という曲。

  

2人が『スキャンダラスなカップル』
と言われるきっかけになった曲です。

  

この曲の内容があまりにも官能的すぎで物議を醸し、
イギリスをはじめ、アメリカ、ヨーロッパ各国で放送禁止となりました。

 

しかしそれがある意味功を奏し、
国際的なヒットとなったそうです。

 

ダメと言われればやりたくなるような、
禁止と言われたら聞きたくなるみたいなことでしょう(笑)

   

そして二人の間にも子供ができ、
24歳のときに2人目の子供を出産します。

  

ジェーン・バーキンはセルジュ・ゲンズブールによって
女優として人気は高まっていき人気女優のひとりとなりました。

 

しかしジェーン・バーキンの人気と相反するように
セルジュ・ゲンズブールとの関係は悪くなっていき
15年の事実婚生活に終止符をうちます。

3度目の結婚、出産、離婚。

出典https://news.yahoo.co.jp/

 

セルジュ・ゲンズブールと関係が上手くいっていないとき、
映画監督のジャック・ドワイヨンと出会います。

 

ジャック・ドワイヨンが自分の映画に出てほしいと
ジェーン・バーキンに『放蕩娘』のシナリオを渡し、
意見を求めたことでジェーン・バーキンの新たな女優人生の扉が開きます。

 

これまで前夫セルジュ・ゲンズブールの
望む女性を演じてきたジェーン・バーキンにとって
自分の意見を求められたことは初めてだったそう。

 

ジャック・ドワイヨンの映画に出たことで
ジェーン・バーキンは演技派の女優として
素晴らしい監督たちからオファーがくるようになります。

 

そして35歳のときにジャック・ドワイヨンとの子供、三女を出産します。

ジェーン・バーキンの恋愛遍歴についてはコチラ

エルメスのバーキンバック誕生

ジェーン・バーキン
出典https://www.pinterest.jp/

   

セレブたちがこぞって欲しがるエルメスのバーキンバックは
ジェーン・バーキンの名前からきていることは有名な話しですよね。

 

ジェーン・バーキンがたまたま乗った飛行機の隣の席に
当時のエルメスの社長(ジャン=ルイ・デュマ=エルメス)が
座っていたことがきっかけでバーキンバックは誕生します。

 

あの日のことはよく覚えています!エールフランス航空のロンドン行きの便で、アップグレードされて。たまたま隣に座っていたのが、エルメスのジャン=ルイ・デュマだったんです。

https://www.vogue.co.jp/

    

私のバッグの中身がぜんぶこぼれ落ちてしまった様子を見たデュマは、『ポケット付きのものを持ったらどうですか』と言ったんです。『エルメスがポケット付きのバッグを作ってくれたら、それに変えます』と答えた私に対して彼は、『僕があなたのためにポケット付きのものを作って上げます。何せ僕がエルメスですから』と返してきました

https://www.vogue.co.jp/

    

ジェーン・バーキンはエルメスとは知らずに
『自分の持ち物と娘の持ち物の両方入るバックがない』という話をし、
それを聞いたエルメスがバックを製作するアイディアになると感じたようですね。

  

まさに偶然の産物ともいえる出会いですよね。

最愛の人の死、そして離婚。

ジェーン・バーキンが44歳のときに、
2番目の夫(事実婚)、セルジュ・ゲンズブールが亡くなり、
その5日後に最愛の父親も亡くなります。

  

セルジュ・ゲンズブールとは離婚(事実婚の解消)をしたとはいえ、
ジェーン・バーキンにとって特別な存在で、
離れた後も親友のような関係になっていました。

   

ジェーン・バーキンは彼の死後2か月後に
追悼コンサートを開催し、
セルジュ・ゲンズブールを弔いました。

  

そして数年後、14年間一緒に生活してきた
ジャック・ドワイヨンと離婚
します。

48歳で新たな恋

ジェーン・バーキンは過去のインタビューで
40代で大恋愛をしたと話しています。

  

その相手が作家のオリヴィエ・ロラン。

 

出典https://www.facebook.com/

 

48歳のときジェーン・バーキンは
人道支援のためサラエボへ旅立ち、
そこで2人は出会いました。

 

ジェーン・バーキンは彼のサラエボでの勇敢な行動に惹かれ、
オリヴィエ・ロランも彼女の自らの命を危険にさらしてでも
自分にできる精一杯しようとしている姿に惹かれたそうです。

  

しかし2人の恋は長くは続かず、5年で破局となったようです。

東日本大震災でのチャリティーコンサート

ジェーン・バーキン
出典https://www.afpbb.com/

ジェーン・バーキンは人道支援、慈善活動にも
積極的に参加していることで有名です。

 

2011年3月11日に起こった東日本大震災でも
ジェーン・バーキンは震災から1ヶ月経たずして日本に来日し、
支援コンサートを開催しています。

  

ジェーン・バーキンはこの時、病気を患っており、
医者や娘たちからも来日することを止められていたそうです。

  

しかし、ニュースで流れる被災地の状況を見て
何もしないでフランスにいるのが辛かったと話し、
単身来日をされています。

  

日本人としてはとても心強い来日ですよね、、、

長女ケイトの死

ジェーン・バーキンが66歳のとき、
長女のケイト・バリーが亡くなります。

   

ケイトは自宅のアパルトマンから転落し
自殺したと言われています。

 

長女ケイトが亡くなったとき、
ジェーン・バーキンは東日本大震災復興支援の
ワールドツアー中でした。

 

そこからジェーン・バーキンは悲しみに暮れ、
精神不安、持病が悪化、体調不良で仕事を休業し
引きこもり生活をしていました。

  

自分より先に子供は亡くなってしまう、
それも自ら命を絶ってしまったという現実は
本当に辛く悲しかったと思います。。。

   

しかしその中で、2年後1度だけ舞台に復帰したジェーン・バーキン。

 

舞台復帰で得た収益を
長女ケイトが設立した薬物依存症患者のリハビリセンター
『メゾン・ケイト』に寄付したそうです。

ジェーン・バーキンの娘たちについてはコチラ

病気を繰り返していた

ジェーン・バーキンは60代半ばから病気を繰り返していました。

 

しかし、ジェーン・バーキンはそれでも舞台に立ったり、
人道支援、支援活動を続けていたそうです。

 

2011年の東日本大震災のときもジェーン・バーキンは
ドクターストップがかかるほど
病気を患っていたにも関わらず来日したり、

 

翌年の2012年には心膜炎になり入院し、
抗生剤だけでどうにか舞台に立ったこともあったり。

  

その後も肺に水がたまったりなど病気は続き、
薬の副作用で太ってしまったジェーン・バーキン。

 

ふつう女優さんやモデルさんなら
外見が衰えてしまったり、美貌が失われてしまったら
人前にでることを避けると思います。

 

だけどジェーン・バーキンは
『太って着る服がなくて困っちゃうわ!』と笑い
ありのままの自分を見せていました。

 

多くの人がジェーン・バーキンに惹かれるのは
こういう偽りのない姿からなのかもしれないですね。

76歳で死去

2023年7月16日にジェーン・バーキンは
自宅のパリで命を遂げます。

  

自宅でひっそりと亡くなっているところを
訪問した介護者により発見され、
死因は自然死と発表されています。

  

60代後半からは病気を患いながら生きていたジェーン・バーキン。
これまで危篤状態になったことも何度かあったそうなので、
身体が弱っていってたのでしょう。

まとめ

ジェーン・バーキンの生い立ちを見ていくと
恋多き女性と思うけれど、
ある意味自分の感情に素直だったのかなと思います。

  

ジェーン・バーキンは生涯で恋人は4人と発言していることから
自分の恋愛経験も隠さずオープンにしていることがわかります。

  

支援活動や慈善活動にも積極的に参加し、
人を思う行動がすごく愛にあふれているな方だと感じました。

   

外見が美しいだけではなく、
心の美しさもジェーン・バーキンの魅力で
それが言葉と行動でちゃんと一貫しているところが
彼女の凄さなのかもしれないですね。

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この記事を書いた人

永遠のミューズ、ジェーン・バーキン。
 
彼女の生き方にリスペクトを込めて。

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